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2006年5月24日 (水)

good night and good luck.

3ee06170s 「ダ・ヴィンチ」 にも後ろ髪を引かれたが、今日は早々に公開終了が決定したっぽい 「グッドナイト& グッドラック」を優先して見てきた。尺は約90分。 やっぱり映画はこのくらいがちょうどいい。

説明セリフのあまりないドキュメントのような脚本だった。50年代前半の米国に吹き荒れた反共ヒステリーについて、 ある程度の予備知識を前提としているように思う。マローたちが闘った相手はマッカーシー上院議員一人に留まらない。 彼が象徴する時代の空気そのものだったからだ。この点に関しては以前ウォーレン・ビーティの「レッズ」やデ・ニーロの「真実の瞬間」 を見ていたことが役立った。「赤狩り?何のこっちゃ」ならダイアン・リーヴスのヴォーカルを聴きながらまどろんでいたことだろう。 (蛇足だが「真実の~」は原題「Guilty by Suspicion」が当時の空気を明確に現していたと思う)。

見終わっての感想は「こういう時代もあったんだ
」ということ。本番中に吸うたばこもさることながら、 報道番組がジャーナリズムの名の下に極端なリベラル寄りのポジションを取り、 権力者に対峙することが視聴者の共感を得る時代があったのだ。それだけマッカーシィズムのもとの弾圧が異常だったともいえるが、 米国や日本の現状を鑑みれば神話的とさえいえる光景だろう。

マッカーシーの弾劾成功に酔う間もなく、 スポンサーのアルコアは番組を下り、「シーイットナウ」は日曜の午後枠に追いやられる。テレビの急速な普及に伴い「んなしらねーよ。 もうウチら考えんのめんどいからさ。とりあえずおもろいもん見せろ」とばかりに一般大衆の興味はクイズなど娯楽番組に傾いていったわけだ。

それはある意味自然なことなのだろうけど、それにしても今のテレビは行き着くところまで行った気がする。報道、 ドキュメンタリーは言うに及ばずバラエティーも昔のような力のある番組は消えてなくなり、どこかで見たような焼き直しのものばかり。 ドラマはキャスト優先でリアリティゼロ。 アメリカでは素人オーディション番組の投票数が大統領選を上回ったとか何とかいう話まであるくらいだ。 マローの危惧は最悪のかたちで実現してしまった。

けれど変化の胎動はなくはない。 多チャンネル化が進み、ブロードバンドが一般化し、ネットが普及するにつれて個人の興味嗜好はより細分化された。 巨人戦の視聴率低迷やマンガ雑誌の売り上げ減なんかはその典型例だろう。「どうだおもしろいべ?」と送り手が提示してきた価値基準を、 わたしたちはもはや正面切って受け止め、消費することはないし、そうすることを「アホくさ」とすら感じる人々の数は確実に増大している(同時に思考停止に陥った人も増えちゃったかもだが)。

こういった変化がいわゆる個室化、 孤独化をより加速させ、今以上に個人がむき出しになり国家に依存するのか。それともフランスにおけるデモのような横の連帯につながるのか。 仮に連帯したとして私たちは何に対して異議を唱えるべきなのか。そう考えると今だにマスメディアの役割は大きいなとか思った。



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