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2006年3月14日 (火)

「白バラの祈り」と「男たちの大和」

Mo3988_2 久しぶりにシャンテシネへ行ってきた。 「白バラの祈り―ゾフィー・ショル、最期の日々」を見るためである。平日の昼間というせいもあったろうか。 7割ほどの入りだったが年齢層が思いっ切り高かった。

舞台は第二次大戦終戦間際のミュンヘン。反戦、反ナチ活動をしていた学生たちが捕らえられ、 わずか5日後に処刑されるまでを描く。兄とともにギロチンにかけられたゾフィー・ショルはまだ21歳だった。 90年代に入って新たに発見された供述調書をもとに再現された、ゾフィーとベテラン尋問官との対決がこの映画のハイライトだ。

映画の引き文句は「世界中の観客がすすり泣いた感動の実話」。隣の若い女性も、 その前のオバちゃんも終盤には耐えられない様子でハンカチを取り出していた。わたしは映画後半の何か乗り移ったようなゾフィー=ユリア・ イェンチの演技に圧倒されてに涙を流す余裕すら与えてもらえなかった。

役作りについては公式の彼女のインタビューで納得がいく。 プロテスタントだったゾフィーの宗教観を反映させたかったようだ。 このサイトではローテムント監督のインタビューも動画で見ることができるが、わたしがもっとも印象に残ったのがこの言葉だった。

(1968年生まれの)わたしはナチスの戦争犯罪に責任は全く感じていない。 ホロコーストやユダヤ人に対しても私自身の責任は感じていない。その一方でこうした殺戮により多くの人が犠牲になったことを、 自分たちの世代が次の世代に残す大きな責任があると思っている。

自虐でも排外的な偏狭ナショナリズムでもないバランスの取れた真っ当な考え方だと思う。 昨年シネマライズで「ヒトラー最後の12日間」(原題The Downfall)を見た後も感じたが、 ドイツ人というのは本当に真摯に自己と向き合う国民だ。翻って我がニッポンは「男たちの大和」だもんな…。別に「大和」 が悪いというのではない。「大和」〝だけ〟というのが問題なのだと思う。

太平洋戦争を直接的に体験した人たちが日を追うごとに少なくなっている今、 わたしたちは次の世代にあの時代について伝えられているだろうか。というか既にその記憶は断絶してしまっているのではないか。

現に自衛隊官舎に反戦ビラ撒いたくらいで身柄を取られ、挙句に有罪判決を食らうような言論弾圧がまかり通っているし、 住民投票で基地移転の反対意見が大勢を占めても、法的拘束力がなければ関係ないとばかりに、国家元首がうそぶく国だ。 大手メディアをはじめとするこの国の表現者たちはどんどん権力に対する批判能力を失っているのではないか。 そんなことを考えながら丸の内仲通りを歩いていたら一層寒さが身に応えた。

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